若くして大腸がんを宣告された31歳サラリーマンブログ <ベトナムから帰国する>

LIFE

 こんにちは、keiです。

 2020年12月20日、ベトナムの病院で大腸がんと診断されました。

 当時は、病気になったことへのショックや体の心配、将来の仕事の不安などで気持ちが落ち着かず、他に若くして大腸がんになった人がどういう気持ちだったのか、どういう生活をしていったのかを知りたくてブログなどを探したりしました。
 しかし、あまり参考になる記事が見つからずにもやもやとした気持ちのまま過ごしていました。

 今後、同じ境遇になった人が少しでも共感できるように、少しでも気持ちが楽になるように、そして自分の人生でとてつもなく大きな出来事である大腸がんとの付き合いの記録として、発覚の経緯とその後の生活について記していきたいと思います。

がんを宣告されてからの心境

病院から帰宅してからの心境

 ベトナムの病院でがんと宣告されて、頭では理解しているのだが実感が湧かない、というのが正直な心境でした。
 現実逃避しているつもりはないけど、まるで風邪でもひいたかのように「癌かぁ」といった感じ。

 すぐに帰国して日本で治療を受けたほうがいいのは自明でしたが、日本に帰ったらコロナもあるしそのまま帰任となってしまうのではないか、ベトナムでも治療できるって言っていたしベトナムで手術して働きながら治療を進めていくという手もあるのではないか、なんてことを考えていました。

がんについて家族に告げる

 診断の結果を妻や両親に伝えました。
 妻は心配そうにしながらも家族みんなでサポートすると励ましてくれ(僕の実家は北海道、妻の実家は神奈川のため、治療の際は妻の実家にお世話になることに)、両親はとにかく泣いていました。

 家族への連絡を終えて一人ソファーに座っていると、放心状態で全く動く気になれませんでした。段々とがんになった実感や不安さが湧いてきたのです。

 これからどうなるの?死ぬのかな?家族は?仕事はどうなる?みんなになんて言う?
 怖くてがんについて調べることもできませんでした。

 ただ不安さと同時に、自分が悲しんでいたり不安がっていても治ることはないし周りもそれに同調してしまう、それだったらがんになったものは仕方ないから普段通りの立ち振る舞いをしたほうが自分もみんなもラクじゃないか、そんな強がりも芽生えてきたのでした。

がんについて上司に告げる

 翌日(2020年12月21日、月曜日)は通常通り出社しました。
 上司はすでに出社して業務を開始していました。

 僕「ちょっとお話があります。大腸がんと診断されました。」
 上司「えっ。それは早く日本に帰って治療したほうがいい。それが一番だ。」

 説明しているうちに涙があふれてきました。

 その後、人事部長にも事情を説明して、日本の産業医へ連絡したり就労ビザの更新のために大使館に提出していたパスポートを取り寄せたりと緊急帰国の手続きを進めてもらえることに。
 また、セカンドオピニオンとしてハノイのビンメック国際総合病院という大きな病院行くことになり、再度WellBeに電話して予約してもらいました。

 上司「今日はもう帰って休んでいなさい。」
 僕「すみません、ありがとうございます。」

 もうここには来られないかもしれないな、と思いながら車に乗って帰りました。

がんについてセカンドオピニオンをもらう

 翌日(2020年12月22日、火曜日)、会社の車でハイフォンから1.5時間くらいの場所にある首都ハノイのビンメック病院に向かいました。
 病院の入り口には大きなクリスマスツリーが飾られており、その周りを小さい子供たちが走り回っていました。

 ここでもハイフォンと同様にWellBeスタッフのNgaさんに付き添ってもらいました。
 ハイフォンで撮影したMRIと内視鏡の写真を持っていき、2名の医師に触診・診断してもらった結果、やはり悪性のがんである可能性が高いと言われました。
 ベトナムでできる治療を確認したところ、手術とその後の点滴(おそらく抗がん剤治療)ができる、必要があれば私たちが全力でサポートするので言っていました。
 Ngaさんにお礼を言って病院を後にしました。

 ここでも心の中にはまだベトナムでの仕事を経験して成長したい、といった未練が大きく残っていました。

がんは日本で治療することに

帰国準備

 翌日(2020年12月23日、水曜日)。

 「戻ってこられる可能性は低いのだろうな」、そんなことを考えながらとりあえず帰国の準備を始めました。
 部屋の片づけや洗濯をし、貴重品など優先順位の高い荷物と最低限の服をバッグに詰め込みました。

 そうこうしているうちに、ハイフォンの病院から内視鏡で採取した組織の精密検査結果の書類がZalo(LINEのようなSNSで、ベトナムではZaloが主要な連絡手段)で送られてきました。
 ベトナム語で書いてあるのでよくわかりませんが、Hoaさんから悪性のがんであることを説明されました。
大腸がん、診断結果
 おそらく、大きさが5㎝くらい、肛門から6mmの位置、深達度T3でリンパ節転移の可能性あり、のようなことが書いてあるのだと思います。

 その後も会社の総務や日本の産業医から立て続けに、明日の航空券が確保できたことや帰国後の対応方針などの連絡が入りました。

 いよいよベトナム最終日。
 バタバタしてすぐに一日が終わっていきました。

帰国

 翌日(2020年12月24日、木曜日)、10時に会社の方に迎えに来てもらってハノイのノイバイ空港に向かいました。

 車に乗ると、他の駐在員から「どうした、大丈夫か?」と連絡が来ていました。
 治るかもわからない状態で大丈夫とも言えないし、がんが見つかったとも言いたくなかったので返信に困りました。
 「ちょっと体調が悪いので日本で治療してきます」と言うと「みんな心配しているぞ。どこが悪いんだ」と。
 気づかってもらえるのはありがたいことですが、「詮索しないでくれ、今は放っておいてくれ」というのが正直な気持ちでした。

 社長と上司にだけは報告しつつ空港に到着したのが12時。
 フライトは14時半だったので、カフェでサンドイッチと甘いベトナムコーヒーを注文して昼食をとりながら、6年前に出張で来た時のことを思い出していました。

 フライト5時間、時差2時間で21時半に成田空港に到着しました。

 ベトナムではノーマスクで出歩けるほどコロナウイルスが拡大していませんでしたが、日本ではかなり拡大している時期でした。
 渡航先によっては空港到着後すぐにホテル隔離のケースもありましたが、幸いベトナムは対象外だったためいくつかのコロナ対応の手続きだけで到着ロビーに出ることができました。
 成田空港へはお義父さんが車で迎えに来てくれ、妻の実家に到着すると妻とお義母さんが出迎えてくれました。

 病院で対応してくれた方、航空便を含め帰国の準備を迅速に進めてくれた上司や会社の方、遅い時間に迎えに来てくれたり急なことで受け入れてくれた妻、お義父さん、お義母さん、コロナ禍というこの状況ですぐに帰国できた幸運に本当に感謝しています。

 こんな形で久しぶりの再会を迎えた妻に、これまでのことを話しました。
 妻は泣いていました。
 まずは帰ってこられた。これから治療だ。何とかなるだろう。
 楽観的なのか無頓着なのかわかりませんが、とにかく前向きにいつも通り過ごしていこう。
 そんな気持ちでした。

 がんを宣告されてから、ベトナムで一人でいるときはぼーっとしがちでしたが、一緒にいてくれる人がいると気持ちが紛れてホッとしました。

 忘れられない、とんでもないクリスマスイブを過ごし、日付はいつの間にかクリスマスになっていました。


 今回は以上です。
 次回は日本での検査と手術について書いていきたいと思います。

アイキャッチ画像の出典:Gerhard G.によるPixabayからの画像

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